Il Telefono 2

2 - 3.febbraio.1971.  Maranello - Modena

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電話2

1971年2月2日〜3日 マラネッロ〜モデナ 



 永山は、約束通りお昼少し前にフェラーリ本社に到着した。受付の女性に声をかけると、彼女が内線の受話器を取るだけでシェッティが来た。きっと、どこか近くで待っていたのだろう。二人は握手をすると、歩いて数分のリストランテ・カヴァリーノに向かった。

 ここまでお読みいただいた皆様は、このシェッティという人物について、どのような印象を持たれただろうか?中年のイタリア人紳士?紳士というのは間違いないが、年齢的には、永山(30歳)、亡くなったギュンティ(29歳)、これから登場するクレイ・レガッツォーニ(31歳)やマリオ・アンドレッティ(30歳)よりも若い28歳で、国籍的にもスイス人だ。シェッティという姓も、よくイタリア語的な “Scetti” と間違えられるが、実際には、英語的な “Schetty” と綴る。穏やかで、物静かな優しい性格で、タイプ的には永山に似ているかも知れない。ドライバーとしての主なレース歴は、1969年のル・マン24時間にクリス・エイモンと、1970年のセブリング12時間とル・マンにジャッキー・イクスと組んで出場しているが、いずれも相棒が走っている間にリタイアしている。特に目立つものはないが、そのことが逆に彼の頭脳やレース戦略を印象づけている。

 リストランテに着くと、先ほどお話した、レガッツォーニとアンドレッティの他、メルツァリオとジャッキー・イクスの4人のドライバーが永山たちを待っていた。永山が彼らと挨拶を交わした後、6人でテーブルを囲んだ。料理はもちろん美味しいはずだったが、本当に美味しく食べられた者はいなかったのではないか。どうも態度がよそよそしかった。
 食事の後、永山は一人だけシェッティから呼ばれた。話の内容は、彼の『解雇』であった。その理由もはっきりしなかったが、彼のラップ・タイム、特に予選時におけるものが遅いことがエンツォ・フェラーリのお気に召さなかったようだ。

 このことは、後にいろいろな憶測を呼んだ。多くは、永山の走りの遅さだが、曰く激しさを欠いた気性がコマンダトーレの好みでなかった、曰く戦争のイメージが強い日本人とドイツ人はチームに置きたくなかった・・・などである。ただ、どれも説得力はなかった。永山と似たタイプでありながら監督にまでなったシェッティのことはどう説明するのか?1960年代始めにはフォン・トリップスというドイツ人ドライバーがフェラーリに所属していたので、後の説にも説得力はなかった。
 また、こんな説もあった。「フェラーリの活動中止は、親会社のフィアットの株主であるバチカンの意向だった。この人事もそうではないか?『クリスチャンでない者をフェラーリのドライバーにしておきたくない』永山の解雇が活動再開の条件だった」というものである。なるほど、他の説よりも説得力はあったが、これについても単なる憶測に過ぎなかった。

さて、話を永山自身に戻そう。憐れ、彼は途中から放心状態になっており、そんな元部下に対し、シェッティは誠実に説明をしていた。本来秘書がする、書類を読み上げるような事務的な要件さえ、自分自身で話をしていたのだ。

 「・・・もちろん、会社側の都合による途中解雇ですので、永山様には相当額の違約金が支払われます・・・永山君、聞いていますか?大丈夫ですか?」

 イタリア語どころか、日本語で話をされていても、理解できたかどうかあやしいところだったが、とりあえず返事をした。

 「・・・はい、大丈夫です・・・続けてください・・・」

 「そうですか?それでは、ここのところにサインをいただきたいのですが、その状態で大丈夫ですか?大切なものですから、後日気持ちが落ち着いてから、また来ていただいても結構ですよ。もちろん、君にとって悪い条件にはしていないはずですが」

 「・・・だ、大丈夫です。今、サインします。させてください」

 サインも済んで部屋を出た時には、永山はもうフラフラになっていた。4人の元同僚たちのいるところまで来ると、ソファーの上にドサッと倒れ込み、そのまま意識を失った。
 驚いた4人の先輩ドライバーと、慌てて追いかけて来たシェッティが彼を介抱したが、その時のことは、永山の記憶からすっぽりと抜けているようで、何も覚えていない。

 気がついた時には、翌日の午後になっていた。モデナの自宅のベッドの上に倒れていた。どこをどう帰って来たのかもわからない(後で知ったところでは、メルツァリオが送ってくれたらしい)。部屋の中では、近所の女性たちが心配そうに彼を見つめていた(これも、メルツァリオが声をかけてくれたらしい)。永山がいつまでも目を覚まさないので、彼女たちはずいぶん心配したようだが、彼が仕事の疲れからだと説明すると、安心し、お粥のようなリゾットを作ってくれた。
 そういえば、ずっと眠っていたとはいえ、前日の昼にカヴァリーノで食事をした後何も食べていない。お腹がペコペコだ。彼はリゾット・ビアンコと呼ばれる牛乳粥を何杯もおかわりした。
 その様子に安心した女性たちが家に帰る様子だったのを見て、日本から届いた八街産落花生をプレゼントしたので、彼女たちは大喜びで、

 「何か困ったことがあったら、声をかけてくださいね」

と言葉をかけて帰って行った。

 食事をし、女性たちと話をして、いくらか元気を回復した永山。
 そこに、彼にとって2回めの運命の電話がかかってきた。さて、吉となるか?凶となるか?

(続く)