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 モーター・スポーツの楽しさを教えてくれた兄と、モーター・スポーツに関心を持ってもらいたい妻に、この物語を捧げます。


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プロローグ~青い破片 1971年1月11日 ブエノスアイレス

 月曜日の朝、アルトゥーロ・メルツァリオは、古ぼけたフィアットを猛スピードで飛ばしていた。
 中心部に向かうメイン・ストリートではすでに渋滞が始まり、血の気の濃い男たちがあちらこちらでホーンを鳴らしていたが、彼が走る反対側の車線は比較的空いており、ボロ車のエンジンも軽く回ってくれた。まあ、快調なドライブではあった。
 しかし、元から痩せていたとはいえ、彼の頬はげっそりとこけ、顔色も真っ青だった。実は、入院中のところを抜け出して来ているのだが、彼のただならぬ姿は病気のためだけとは思えない。

 やがてメルツァリオは、目的地であるサーキットにたどり着くと、ゲートで居眠りをしていた警備員をたたき起こし、フィアットをコースに入れてレーシングカー顔負けのスピードで走らせた。
 そう、彼もレーシング・ドライバーだ。優勝経験こそないが、グランプリにも出場しているし、耐久レースでは何度も勝っている、名ドライバーなのだ。
 だが、そんな経歴がメルツァリオを語るのに相応しいとは思えない。誰よりも、勇気ある男として知られているのだから。
 彼は5年後、ニュルブルクリンクの猛火の中から一人の男を救出し、モーター・スポーツ史に名を残した。その男の名は、ニキ・ラウダ・・・そう、3度のワールド・チャンピオンと25回の優勝に輝く、あのオーストリア人だ。

 メルツァリオは、最終コーナーまで走ると、車を降り、立ち尽くした。
 ここの見通しは良くない。彼のフィアットでも苦しいくらいだが、車高の低いプロトタイプやフォーミュラーカーではもはや絶望的だ。小高い丘とガードレールに阻まれてコーナーの出口が見えない。
 メルツァリオは嘆いた。
 (役立たずどもが、もう少しましなサーキットが作れないのか)
 とはいえ、ここも名門のコースだ。ムニシパル・アウトドローモ、ヨーロッパ以外ではもっとも早くF1グランプリが開催された、由緒正しい場所。そして、アルゼンチンはファンジオを産み出した、その意味ではモーター・スポーツ先進国なのである。
 しかし、レースの開催ぶりを見ていると、そんなことが信じられなくなる。

 メルツァリオはしばらく辺りを眺めていたが、やがて視線を下ろした。
 コース上は、一見きれいに片付けられていたようだが、FRP の破片がいたるところに散りばめられていた。青いもの、赤いもの、中には高熱のため溶けかかったものもあった。 
 彼は、青い破片の中で一番大きなものを、憎しみを込めて蹴り飛ばした。おそらく、セリエAのポルティエーレでも受け止めることはできなかっただろう。
 この青い破片と焦げた芝生が、昨日の惨事を物語っていた。

(続く)